近況というか‥‥ブルテ父のその後 [いわゆる日記・雑感・ひとりごと]
2月初めより、何となく落ちつかぬ日々を過ごしておりましたが、
先週25日夜、ブルテ父が天寿を全うし、旅立っていきました。
89歳の大往生ですし、あとは本人も苦しいばかりの延命とのことでしたから
これで楽になれて、やれやれ、といったところです。
先週末、通夜・葬儀など、一連の儀式を無事に終えてきました。
3週間以上も危篤状態が続いていたわけですが、
ブルテは、先週初めにどうしてもはずせない用事があり、かぶらなければいいが…と心配しておりました。
柴壱の方も、予約していたマンモグラフィーを延期しただけで、
いろいろ組んでいた予定の合間をすり抜けるように、義父は旅立って生きました。
頑固一徹で情け深い義父の、最後の気配りのようにも思えました。
まずはお香典
相場も、だけど、お札の入れ方にも悩みます。
ネットで調べると、
お悔み事ではお札を逆さに入れるというのもあれば、しかも肖像画が上だったり下だったり、
死者に捧げるものなのでお祝い事と同じでよい、という説もあります。
また、準備していたかのような新札はダメ、というのもあれば
人さまに差し上げるのだから新しいものを、との説もあります。
迷います。悩みます。
もっとも、お香典は当日、受付・会計係が流れ作業のように開封して整理するのがほとんどですから
あまり、入れ方に悩むこともないのかな、と思ったりするのです。
「香典袋」に住所・電話番号などを書くのは返礼を期待しているようで…
と、以前、古い考えのうちの母などは気にしていましたが
実際に、自分がお葬式を出す立場になってみるとわかる。
お香典の中袋に、電話、郵便番号まで書いてあるのが、どんなにありがたいことか。
また、中袋が糊付けなどされていれば、会計係の手間が増えるばかり。
むしろ、そういった気配りの方が大事なのでは、とも思うのであります。
ところ変われば‥‥
金沢出身のブルテですが、親類一同の中で県外、いや市外出身なのは柴壱ひとり。
義父方、義母方、義兄嫁方の親類はぜ~んぶ、市内出身&在住。
しかも、そのほとんどが、限られた狭い集落の中で、現在も生活しているのです。
東京圏人の柴壱さんは、完全に外様(とざま)というかアウェイ状態。
ただただキャイーンと尻尾を下げて、一連の流れを見ているばかりでした。
まずは、ブルテの実家に着くと、玄関には通夜・葬儀の場所・日時の書かれた貼紙が。
12年前、柴壱父が亡くなった時は「無用心なので、こういうものは最近は貼りません」と
葬儀屋さんに言われたのですが。
そして、もっとビックリしたのが、翌日の新聞。
一般人なのに、お悔み欄に、喪主、自宅、葬儀式場・時間などなどが詳しく掲載されるんですから。
個人情報丸出し!
「この時間は、○丁目の○○さん宅周辺は留守ですよ~。ドロボーさん、狙い目ですよ~」
って、新聞に広告出しているようなもの。
で、これに誰も異議を持たないことに、またビックリ。
さらには、新聞を見た議員さんたち(というか秘書)から、たくさんの弔電が届くことにまたまたビックリ。
地元選出の元総理のあの方からも来ました。
で、葬儀の弔電披露の順番で悩むわけ。現与党が先か、当選回数の多いのが先か、ってね。
柴壱さん、カルチャーショックいっぱいです。
儀式の流れも、異なります。
「中陰」というのを初めて知りました。
言葉そのものは、仏教で四十九日までの期間を意味するそうなのですが
葬儀の後、火葬場から戻って、近親者だけで中陰法要というものが営まれます。
東京では、というか東京圏での柴壱の今までの経験では
火葬場から戻った後、前倒しで初七日法要&精進落としを行います。
それと同じものかと思ったら、やることは同じでも、意味合いは少し違うようなのです。
ネットで葬儀当日の中陰法要について調べても、ほとんどヒットしないので
もしかしたら、金沢圏だけの風習なのかもしれません。
初七日までは、毎日お寺さんがお経を上げにきて法要を行い
それ以降は、二七日、三七日…と七七日(四十九日)までは
きちんと七日ごとの法要が行われます。だから「中陰=前倒しの初七日」ではないようです。
四十九日の納骨も、曜日に関係なく、七七日めに行わなければならないのだ、と
ブルテの従姉が話していました。
慌しい都会のマンション暮らしでは、想像つかない流れです。
冠婚葬祭が全般的に派手で、古式を重んじる金沢ならでは、な気がしました。
時代変われば‥‥
柴壱父が亡くなったのは12年前。
土地柄による違いもですが、12年という歳月が、お葬式をビジネスとして大きく変えたようにも思えます。
通夜・葬儀にも、結婚式のようなプロ司会者がついて、涙を誘うようなナレーションとともに
進行していくのが、スタンダードなんですね。
それより何よりビックリしたのが納棺の儀式。
柴壱父の時は、年配の葬儀屋さんが白装束に着替えさせ、棺に納めただけだったのですが…
納棺に現れたのは20代後半から30歳くらいの若いキレイな女性が二人。
黒のセーターに黒のパンツ。白いブラウスの襟元には小ぶりのタイ。
何号のキャンバスが入るかという大きなトートバッグとメークボックスのような箱型バッグを携えた姿は
青山あたりを歩いていれば、スタイリストかメークアップアーティストといった風情。
その女性二人で手際よく花や枕飾りを隅に片付け、大きな浴槽を運び込みます。
遺体を湯灌し、旅立ちの身支度を整えるのです。
遺族が気分を害するようなところ(鼻毛を切るとか?)は、布や手で上手に隠しながら行い、
足洗いなどは遺族の最後の気持ちとして、手伝わせてもくれます。
病院から戻ってきた時の顔は、苦しんだのか、かなり歪んでいたのですが
それも、穏やかな顔に整えてくれます。
どのように整えるかは、遺族の目に触れないように、ですが。
悲しみの場面にふさわしい最小限の笑顔で、無駄な涙を誘わず、手際よくことを進めていく姿に
遺族一同、感心しきりでした。
これが、映画「おくりびと」の世界なんですね。(まだ見ていないんですけど)
モックンのような美しい男性もいいけど、若い女性というのは、なかなかいいものです。
彼女らにとっては、肉体的にも精神的にも、かなりキツイ仕事なのでしょうけれど。
思い出ノート
自分もいつかは旅立つ日が来るわけですが
葬儀式場ロビーの、パンフ類がたくさん置いてあるラックに「思い出ノート」なるものを見つけました。
自分の生い立ちを、ガイドに沿って綴っていく自分史ノートでもあり
万一の時に、家族が迷わないように、自分の思いを記しておくノートでもあります。
不治の病とわかった時に、病名や余命を告知して欲しいか、否か。
延命治療については、どのように考えているか。
葬儀はどのようにしたいか。遺影にはどの写真を使って欲しいか。 などなど。
取り込んでいて、買ってくることはできませんでしたが、
市販されているようなので、1冊、手に入れてみたいと思いました。